かにのにかブログ

日々のモノローグ置き場。

おにぎりのラップ

わたしのカラダはおにぎりの包み紙みたいなものだと言い切りたいのだけど。大切なのは中身でしょうと、よく味わってと、言い切りたいのだけど。

 

女という皮を自分に被せている気でいるのに、外見も飾りたいし素敵だと言われたいし、シャカイで認められたいし褒められたい。

忌々しくも女のカラダはどこまでもわたしのもので。

少し新しい環境に慣れないだけでカラダにブツブツが出来るしむくみで靴はきつい。

 

こんな時になかみとそとみが不可分なのだと思い知らされる。バラバラでいたいのに一緒にいなくちゃいけない。

 

ま、皮の着ぐるみ脱げたところでグロテスクな色のぐちゃっとしたものが出てくるだけだろうけど。

40人での飲み会と下ネタの話

公の場では隠している性にまつわる話をするとそれが真のその人の姿のように感じられ、より親密になれるような気がするのでしょう。

昔の人が、もう少しお堅く同じようなことを言っていた気がします。

俗に言う花金、アルコールでタガが緩んだ人々が次々と告白するのを見学してきました。

 

知り合ってまだ2週間の仲間たちの性欲が強いだとか、こういう人はエロいだとか、日曜日は風俗に行くのだとか、といった話は目を細め、口を開け、あははと発声するわたしの頭上を通り過ぎて行きます。

エロにまつわる話がNGだと言うつもりはなく、なんなら興味の対象でもありますが、それを秘密めかさず居合わせた人々の中で晒すことができるのは羨ましいことです。

 

親密な人にしか明かしたくないことがたくさんあるわたしは他人に対してクローズすぎやしないかと帰りの電車で反省しかけましたが、そのどこにも悪いところはないし、エロを晒せる=自己がオープンという図式もなんだかおかしいと開きなおって、愛しの布団と染み付いた自分の匂いを恋い、朝ぶりの再会を心待ちにするのでした。

まっくろくろすけ

黒のジャケット、黒のかばん、歩幅を狭める黒のタイトスカート、ずっと爪先立ちで背伸びしている黒のパンプス。そんな就活生ルックで電車から降りるとき、電車とホームの間の黒い溝が存在感を増す。

まるでじわじわと黒が大きくなって、吸い込まれていなくなってしまいそうな。

いつもは気にせずひょいと踏み越えるその隙間に普段は感じない恐怖を味わう。

 

就活というのは、わたしにとっては「就活生」というごわごわしていて肌触りの悪い、全身を覆うまっくろくろすけを纏うことだった。必要以上に気張らなければならない行事であった。

クラスメイトが発した「就活生のコスプレ」というワードは端的にそれをよく表しているのに、なんだか楽しげなお祭り感があって、それでいて本物でもないという皮肉も孕んでいて、よくわたしを助けた。

 

望まない制服を着るのは久しぶりのことで、中学生の頃はよく平気でいたものだと思う。大きくなるから、と勧められたスカスカの制服は、結局卒業までずっとわたしの身に沿うことはなく、いつまでも借着のような気がしていた。

 

儲ける者がいなくならない限り、この滑稽なならわしは続いていくのだろう。安っぽい寸胴の布切れが急に、ちぐはぐにパッチワークされた紙幣に見えてくる。

かさぶた

電車から降りられなかった、たったそれだけのことなのに水の玉が頬を転がり落ちる。

マスカラしてない日で良かった。

 

浮腫んだ身体をひきずり帰り、テレビを見ながら何もしない弟たちを前に肉をこねなければならない。明日のプレゼンについて考えなければならない。

 

「ればならない」にくらくら、ぼーっとしていた。最寄駅で人が乗ってくる。「すみません降ります」を三回繰り返して出ようと試みたけれど、目の前のイヤホンの背中には届かなかった。

 

これは知恵熱のようなものだとわかっている。

研修で特別辛いことがあったわけでもないし、同期は良い人ばかりだ。みんなが違って当たり前、この会社では性別、国籍、年次などによって区別される事は無いと断言する社長もいる。そのための制度も社風もある。

 

でも同期の会話のテンポは速いし、初めての相手とお互い探り合いながらの作業。新学期のクラス替え後に付随する緊張感をまた味わっている。

小さなこぶかもしれないけれど、今は巨大な山脈なのだ。

 

気を取り直して選んだ入浴剤、弟が入れてくれたお風呂、美味しくできた夕飯、母のマッサージ、労いの言葉たちがぐしゅぐしゅに絆創膏ぺったんこ。

文字におこせばかさぶたになってくれる。

 

優しく撫でて、ストッキングに足を突っ込む。

日当たり良好、庭、コーヒーメーカー付き

初めて自分のベッドというもので目覚めた朝は足先の冷たさがどうでも良くなるくらい晴れやかで、体の軽さに驚きながら目をしぱしぱ瞬かせたのでした。

 

父の物置となっていた元祖父母の部屋を5日5晩、罵詈雑言を吐きながら、泣きながら母と2人片付け手に入れた自分の部屋に、ベッドを置きました。

壮絶な戦いでした。

卒業式のために自分で塗ったマニキュアは式の次の日の昼にはまだらに剥がれ落ち、片付けの合間に目を落としては得体の知れない喪失感に襲われるなどしておりましたが、床から20センチほど上がった寝床、テレビの音がしない寝床を手に入れわたしは今上機嫌です。

 

人が暮らしていくには沢山のものが必要で、亡くなった人の生活空間を片付けるためには膨大なものたちを処分しなければなりません。いつか、この大変さが、その人が生きていた証と思えるようになるのでしょうか。ゴミの山にしか見えないそれらを目の前に、わたしはそこまで善い人にはなれませんでした。

消費期限がとっくに切れた鯖の缶詰を処分しながら、缶詰はぜひ美味しいうちに食べきってから逝きたいものだと、わかりもしない未来に願ってしまいます。

鯖の胸にムカつく匂いはしばらく取れることがなく、片付け終わった部屋で存在感を主張し続けていました。

 

元来捨てられない性の自分に、ものは少なく、捨てやすく、綺麗な部屋を保つために言い聞かせています。それでも残った捨てられないものたちとの生活が、どうか丁寧なものとなりますように。

卒業に寄せて

何を思うのだろうと、いくらかわたしを面白がりながら卒業式に参加をしました。

愛する友人、後輩、夜更かし、惰眠、読むのに割ける時間との別れを惜しみ、文学を愛する大人の話を聞いて、真摯に言葉を紡ぎ続けようと、再確認した1日は読点の、ようなものになりました。

敬愛する担当教授は、まとまった時間は取れなくなってしまうかもしれないけれど、新しい生活を始めることが良い影響を与えてくれるでしょう、おめでとうと、ゆったりと微笑まれたので、単純なわたしはシャカイジンになることは、嫌なことばかりではないかもしれないと、さらなる読みの世界へと想いを馳せるのです。

 

最後という名のついた魔法の靴を履き、晴れ着の力も借りて少し身軽になったわたしは、幾人かの想い人と卒業後の約束をして、いつもは酔わないチューハイでふわふわと浮かれた足取りで帰途につきました。

コールセンター

はいはいこちらコールセンター。

もしもしお電話ありがとうございます。

あらあらそんなに怒ってどうなさいました?

大変申し訳ございません。すぐにお手続きさせていただきます。

 

少々お待ちいただけますか、お手数おかけしますが、担当者が不在ですので、かしこまりました、左様でございます…

 

はいはいこちら、悲喜こもごもの行き先コールセンター。

電話の向こうの感謝、怒り、悲しみ諦め。

 

顔の見えない電話のこちらに怒鳴り、当たって、それであなたはご満足?

誰とも知らないわたしの名前を、鬼の首とったかのようにメモを取り、ご満足?

 

幾多の壁を隔ててお話ししてるあなたとわたし。もしもお顔が見えたなら、怒りでしわくちゃになった醜いお顔が見えるでしょうか。打ち負かそうと必死なお顔が見えるでしょうか。

 

お顔の見えない関係で、良かったわ。

だってわたし、何度も何度も同じ理屈、大きな大きなパワーでもって、肩肘張って一生懸命怒ってるあなたがおかしくっておかしくって、ニヤニヤするなと怒られそうですから。

 

らっしゃい、らっしゃいクレーマー。

ここは掃き溜めコールセンター。