かにのにかブログ

日々のモノローグ置き場。

菌が感染る

ほとんど誰にも話したことがない、原体験とも言えるトラウマをそろそろカタチにしてもいいかもしれないと、ここでいっちょかさぶた剥がしてみようと思い立ったわけである。わたしがもっと自由になるために。

これから書く内容は、人によっては不快な気持ちにさせてしまうかもしれない。自分の心の安心を1番に、少しでもむりぽよってなったら速やかにこちらの画面を閉じて最近あった素敵なことを思い浮かべて欲しい。

 

さて、昔々、わたしに触ると菌が感染ると言われていた時代があった。ジメジメ、ムシムシ、密室で自意識が互いを攻撃しあっていたあの頃。

同質性と伝統を偏重する地元の中学校で、みんなと同じになりたくてなれなくて、流行りについて行けてなくて、そのくせプライドは高くて負けず嫌いで、自分はいつでも正しいと思っていたし先生にも好かれていた四角四面のわたしは、狭い水槽の中ではきっと目障りだった。

カゲグチやシカトやコウゲキはいきなり始まる。耐えて耐えて波が去り他者に波がかかる時を待ち、息ができると思えばまた次の波が来る。息と言ったって目立たぬように。波と波の感覚や標的は奴らの気まぐれで決まる。自分の下に他人がいると思い込むことによって安心を得るマジョリティに構成された組織に、ただ住んでいる地域がそこというだけで組み込まれた。

自分のことは被害者だと思わない。思えない。他者が波に溺れかけている間わたしは安堵でいっぱいになり、願わくばわたしにとっての平穏が長く続きますようにと、無関心を装う加害者になっていたのだから。

 

偶然わたしに触れた手はタオルや衣服や体育館の壁で拭われた。それは奴らにとって潔白を証明し、集団に属するために必要な儀式だったから。

身体的な接触は、その時からわたしにとって親愛を示すものになった。少なくとも、白旗をあげ害意がないことを表現するような。好き、わたしにとってあなたは大切な人、を伝えるために自分から人に触るのは好きだけど、人から触られるのは今もまだ少し苦手だ。苦手というか、とってもとっても嬉しいのに、あなたに触ってもらえるほど綺麗なものじゃないと、躊躇ってしまう。がっかりさせやしないかと心配になってしまう。他者から押し付けられたあるはずもない病が完治してない自分に笑いが込み上げてくる。

それなりに当時の状況を咀嚼して、理解して、10年以上経って折り合いをつけたつもりなのにまだ囚われているわたしは今でもまだあの蒸し暑い体育館の夢を見る。惨めで苦しくて憤りが身体を熱くした経験も自分が加害者でもあった事実も、なくしてはならぬと、突きつけられているようで、息を荒くして目を覚ます。

高校は「個性尊重」「自主自立」「自由平等」を教育理念とする、ちょっと変な個人が沢山いるところを選んだ。制服も体操着もなくて、教科書は一部先生たちが作った独自のもので、集団行動が苦手な人も多かった。部活の後輩から抱きつかれた時は涙が出るくらい嬉しかったし、何かが浄化される気がしていた。地元の友達はあんまりいないけど、高校からの記憶ははっきりしているのは、やっと外の世界に自分の居場所を見つけ、愛する人々と出会えてきたからだろう。

あの経験は必要なものだった、だからこそわたしは今のわたしになれたなんて言えるほどには今のわたしはあの頃のわたしを救えていない。

けれどいつか、誰かと一緒にでも、わたしを赦せる日が来るといい。