かにのにかブログ

日々のモノローグ置き場。

ノスタルジック小籠包

カイシャで生きやすいように、その場で可愛がられるわたしちゃんでいられるように、していたら、

そっちのモードから抜けられなくなった。

そしてものを書くこともしなくなった、

と小籠包から溢れ出る肉汁を眺めながら現状を言葉にして話したらそれはすとんとわたしの中に降りてきて、ひどく安心させた。

吐き気を催しながら言葉を打ち込んでいた一昨年の自分を掌に乗せて人差し指の腹でよしよしと撫でる今のわたしとそちらの世界には、超えたらタイトスカートが破けるくらいの溝がある、ような気がする。

 

びりりと裂ける音をこぎみよく聞いて世間体も一緒に颯爽と脱ぎ捨てる日がいつか来ればいい。

 

 

ブランディング

カイシャに入ってから、外見は使えるリソースのひとつでしかなくなった。

目、口、鎖骨、おっぱい、ウエスト、お尻、洋服、髪型、姿勢、アクセサリー、エトセトラエトセトラ。商談では相手の性別によって格好を使い分ける。男か女かなんて外的に作られた枠組みでしかなくて、そこに人を振り分けることになんの意味も感じないのに自らその枠にはまりに行っている矛盾からは目を背けるようになった。女という性と若さが潤滑油になることを教えた世の人々を恨む。

平日は仕草、口ぶり、態度、言葉、目線、全てオシゴト用にブランディング。でもまあ、Vネックにタイトスカート、ピンヒールをコツコツいわせて歩く自分は嫌いじゃない。

 

そんなセルフプロデュースを繰り返すうちにわたしのカラダはわたしの手を離れていった。

カラダの客体化と急激にピアスの穴を開けたくなったことは無関係ではなく、どこか他人事のカラダだからこそ穴をあけられたのだろうし、痛みでカラダを自分に引きつけておきたいのかもしれない。

バチン!と音を立てて耳たぶにはまったパールは、ジンジン痛みを主張していたけれど、ものの数時間後にはずっとそこにいました、みたいな顔をしている。

 

順応を成長というのか、後退というのか、わたしはまだ知らない。ときおり、いやこれ誰やねん、と突っ込むことは、しばらくやめられないと思う。

なんだか書く気力が湧いてこないという話

書けないことを書きに来た。

腸炎になった話とか、どうやらおじさん受けがいいらしいという話とか、人の気持ちなんてわからないってわかってるのにわからないことにいらついちゃう自分が嫌だって話とか、久しぶりの大学の友人との晩餐は楽しくて、今度はスッゴイ下着を一緒に買いに行こうと約束した話とか、ピル飲んでも生理は辛いって話とか、研修でグダグダ服装と化粧について話されて困っちゃったって話とか、台風の日ってなんかワクワクするっていう話とか、家がどうやら雨漏りしてるっぽいって話とか、カイシャの先輩は優しいって話とか、衣替えの話とか、産休に入られた先輩の話とか、カイシャの中で暗黙にあるっぽい結婚の順番ルールとか、綿矢りさの新刊の感想とか、いろいろあるのに、な〜んか書けない。いや、書いてないだけ?

 

書くということは言葉の取捨選択で、選ぶ代わりに使われない言葉たちがいて。選ばれないことに過敏に反応しているわたしにはその作業が今辛い、ような気がする。

選ばれすぎたら疲れちゃうのになんでこんなに選ばれたいって思ってしまうのか。

たとえ選ばれても満足できずにずっと空腹なままのくせに。

同期が辞める

入社5ヶ月目のスピード辞職。

なんとか引き止めようと大人は奔走したが、当の本人の意思はかたかった。ちなみに課長はマネジメント能力うんぬんかんぬんで呼び出され詰められていた。会社を辞めるって大変だ。

圧倒的な寂しさと納得と置き去りにされたような心細さと、決断力への尊敬の念と、羨ましさと。

 

次は決まっていないとのこと。今のわたしには彼女に羽が生えているように見える。

あなたは大丈夫だ、と辞める同期も含めそこかしこで言ってもらえるが、全然大丈夫じゃない。どこから大丈夫感が出ているのか教えてほしい。こんなに毎日仕事に行きたくないのに。

大人からしたらそんなわたしは甘々の甘ちゃんなんだろう。稼がねば生きていけない。何もかもを与えられていた身分から、与える身分になったことに頭が追いついていないのか。

 

大好きだったバイトも、ああこの時間を家で寝て過ごせたらどんなに幸せだろうなんて考えていたことを思えば、今の仕事が、職場が嫌なのか、そもそも働くことが嫌なのか、わからなくなってくる。

大学院生か高等遊民か、占い師か教祖か、でなければ何にもなりたくない。朝は10時まで寝ていたい。

 

あれ、これ働きたくない奴の言うことだわ。

魔法の箱

わたしの社用のは黒、私用のはシルバー、他にも白、赤、ピンク、ベージュ…様々に展開しているあいつを開けば、メールができる、文章も計算も検索も電話も、離れた人と画面越しに会うことだってできる。

カイシャで電源を入れ、パスワードを打ち込めばそれは、あとからあとから仕事を吐き出してくれる。それはもう魔法のように。どっから来るの、このタスクの量は。開けている限り際限なく仕事を眼前に映し出し、青い光線で目を痛くするのだ。

 

明日台風が来たら、少し具合が悪かったら、カイシャにゴジラが襲撃してきたら、寝っ転がって布団の上でリモートワークできると毎日持って帰るこの無くしてはいけない箱は、家で開かれることなく毎日満員電車で邪魔くさい重りと化す。

 

 

あなたは心配なんて望んでいないだろうけど。

あの人が適応障害だとか、軽度のうつ症状だとか、医者から言われたということには、わたしも全く驚かなかった。そうだろうなという感想しか出てこなくって、いっそ笑える。

すやすや、すいすい、ぷかぷかと学問の世界を泳いでいたのに、湿度と温度が高いカイシャでおよそ地球人のように振る舞うことを暗黙のうちに強いられるのだから。

 

思い違いでなければ、あの人、ななさんとわたしは相思相愛で、わたしはななさんのことをとても好いている。大切な友人が不調を訴える文章を読むことはわたしを納得と心配の渦に巻き込み、お節介なわたしを掻き立てた。けれどもきっとあの宇宙人は、同情は求めていなくて、ただ書かずにおられなかっただけなのだと思う。

わたしとあの人は別の人だから、わかってないし、思うだけだけれど。

 

傲慢にも、あのキュートな宇宙人が土色の顔をしなくてよいように、出来ることはないかと考えている。そんなカイシャからは離れてしまえと言うことは簡単だけど、生きていくためにそれを選んだ決意を乱暴に取り払うことはできまい。結局、言葉を書きつけることしか思いつかなかったのだから、同じ穴の狢か。

 

願わくば、深くて心地よい眠りが毎日あの人に訪れますように。

また2人でお互いの言葉に聞き入る時間が持てますように。

 

そして愛あるハグを。

週休は3日を所望す。

3連休は正真正銘、自分のために時間を使った。といっても、土日で回復を図り、溜めた家事をやっつけ、祝日月曜日に会いたい人に会っただけなのだけど。やはり週に3日は休みが必要だ。誰だ最初に週休2日に決めた奴出て来い。

カイシャの先輩方は山に登ったらしい。お誘いには行けたら行きますと答えた。行きたい気もしたけれど、身体は持ち上がってくれなかった。なぜ、休日アクティブな人はそれだけで賞賛されるのだろう。体力があるからだろうか。

 

恒例のカイシャ行きたくない病は重症だけど、今夜のわたしはご機嫌だ。会ったのはカランコロンと転がす甘い丸い球体みたいな人。色は水色で、きっとシンプルな砂糖味。ずっと口にいれておきたいけれど、熱を加えれば溶けてなくなってしまいそうで、光にかざしてきらきらと反射を眺めている。

店を出れば小雨が降っていて、黒くて大きな一つの傘で駅まで歩いた。最寄駅からは鞄に入れておいた花柄の折り畳み傘をさして帰った。傘にあたる雨粒の音がぽつんぽつんと響いていた。