日当たり良好、庭、コーヒーメーカー付き
初めて自分のベッドというもので目覚めた朝は足先の冷たさがどうでも良くなるくらい晴れやかで、体の軽さに驚きながら目をしぱしぱ瞬かせたのでした。
父の物置となっていた元祖父母の部屋を5日5晩、罵詈雑言を吐きながら、泣きながら母と2人片付け手に入れた自分の部屋に、ベッドを置きました。
壮絶な戦いでした。
卒業式のために自分で塗ったマニキュアは式の次の日の昼にはまだらに剥がれ落ち、片付けの合間に目を落としては得体の知れない喪失感に襲われるなどしておりましたが、床から20センチほど上がった寝床、テレビの音がしない寝床を手に入れわたしは今上機嫌です。
人が暮らしていくには沢山のものが必要で、亡くなった人の生活空間を片付けるためには膨大なものたちを処分しなければなりません。いつか、この大変さが、その人が生きていた証と思えるようになるのでしょうか。ゴミの山にしか見えないそれらを目の前に、わたしはそこまで善い人にはなれませんでした。
消費期限がとっくに切れた鯖の缶詰を処分しながら、缶詰はぜひ美味しいうちに食べきってから逝きたいものだと、わかりもしない未来に願ってしまいます。
鯖の胸にムカつく匂いはしばらく取れることがなく、片付け終わった部屋で存在感を主張し続けていました。
元来捨てられない性の自分に、ものは少なく、捨てやすく、綺麗な部屋を保つために言い聞かせています。それでも残った捨てられないものたちとの生活が、どうか丁寧なものとなりますように。