かにのにかブログ

日々のモノローグ置き場。

おっぱい

とあるバンドのO・P・P・A・Iという曲が好きでよく聞いていました。

とにかくおっぱい、見たい、触れたい、と妄想する歌詞です。

まあるい「お」という母音から始まって、破裂音。最後にまた母音。

発することが少し気恥ずかしい「おっぱい」を躊躇なく連発しているところが面白かったのです。

 

何とはなしにMVを見て後悔しました。いわゆる夢オチもの。

酔っ払った男性がおっぱい恋しさにおっぱいの夢を見る、という設定。舞台はオーディションでしょうか。登場する3名の女性のおっぱいを、4名のバンドメンバーが点数で評価するのです。1人目に登場するトップレスのうら若きお嬢さんには高得点。3人目に登場する下着姿の50代くらいの女性には低い得点。

 

夢というのは大抵荒唐無稽な、文脈をほっぽり捨てたものですが、女性のおっぱいに点数をつけることを、夢の中という設定だからとオールオッケーにしてしまうのはいかがなものか。笑いに変えられているからオーケーとも、違うと思います。

わたしには歳をとっていて、太っていて、垂れたおっぱいを持つ50代の女性自身に低い点をつけているように見えました。考えすぎでしょうか。

おっぱいが好きなのであれば、おっぱい大好き、おっぱい万歳ということを前面に押し出したMVを作れば良いだけのこと。

好きなものを好きと言えば良いだけで、点数で評価する必要はありません。

 

小説を読み解く際には、なるたけ細部まであれやこれやと考えて、この文章はこう書かれないといけなかったのか、他の可能性はなかったのか、考えます。尊敬する小説家の作品には、どれだけ考えてもこの一文しかなかった、この表現しかなかったという部分が確かに存在します。

例えば樋口一葉の『たけくらべ』はどうしたってあの文体で書かれなければならなかったし、真如がさす傘は、大黒傘でなければならなかったのです。

件のMVは、十分に他の可能性があったように感じました。

 

自分のおっぱいへの自信のなさがおっぱいへの執着になり、つらつらとこのような文章を書かせました。

巷に溢れる美乳の秘訣の広告はわたしを惑わせます。おっぱい体操をしてみたり、豆乳が良いと聞けばむやみに飲んでみたり。背中や二の腕、お腹のお肉たちを、お前は胸だと洗脳しながらブラジャーの中に詰め込む儀式は未だに続けられています。

それでもわたしは自分のおっぱいや他人の素敵なおっぱいに点数をつけることは致しません。好みのおっぱいに、このおっぱいは特別好みだ、と思うだけです。