自分の言葉に後から刺される
自分の発する言葉には、いつも自覚的でありたいと思っています。
所属は文学部日本語日本文学コース、いわゆる日文です。
電車で、お風呂で、布団の中で、自分の発した言葉をぼうっと振り返り、
あの時、あの状況によりふさわしい言葉を見つけた時、鋭い刃物で背中から突き刺されたような気持ちになります。
刺されたことないからわからないけど。ぐはぁっってなる。
先日の卒論中間発表での言葉には深く刺されました。寝覚めのシャワーを浴びながら。
「男性と初めて性的な契りを交わす」と言いました。でも本当は、
「男性と初めて性的な関係を持たされる」と言うべきでした。
詳細は省きますが、「契りを交わす」なんて次の約束をするように男女が結ばれるというニュアンスを含んだ、ロマンティックな言葉はふさわしくありませんでした。
「持つ」「交わす」ではなく、受動と使役の「持たされる」が適した表現でした。
もっとはっきり「セックスさせられる」の方が良いのでしょうが、クラスメイトたちの前でそれを発することはできませんでした。いくつかの論文で見た「処女喪失」は個人的に好みでないので使いません。なんやねん、処女って、喪失って。
そもそもあんなロマンティックな言い回しをしてしまったのも、公衆の面前で、綺麗なものを発しようとしたせいです。間接的に表したせいです。
綺麗に飾った結果血を吐く羽目になったのですから、辺りは血まみれ、本末転倒。
言い直したくてもすることは出来ず、卒論の本文を訂正することでなんとかミスを取り戻そうとします。